堀家は二匹の龍が守り神だと勝手に思ってます

堀秀政天智天皇の御代、藤原の姓を朝廷より賜った藤原鎌足の後裔、藤原利仁流の堀ですし、堀直政は第56代清和天皇を遠祖とする清和源氏嫡流より発しています。

(足利氏→斯波氏→奥田)

 

堀直政は、堀秀政の従兄弟です。叔父の毛坊主と呼ばれていた一向宗の僧のもとに養われていました。当時は奥田直政でしたが、毛坊主さんから、「二人のうちどちらか一人が先に高名を挙げられたら他の一人はその家臣となり、二人協力して、堀の家名を興すことを第一と考えなさい。」と諭されました。

 

二匹の龍が動き始めた時だと私は思っています。

 

足利から斯波、そして奥田になった件や、細かい話はこれから時間をかけてアップしていきたいのですが、まず大事なポイントを、まずアップしておきたいと思いました。

 

嫡流が途絶えたとはいえ、斎藤道三に仕えて、織田信長に仕えて、本能寺の変の仇討ちで山崎の戦いで戦果をあげ、豊臣秀吉に仕え、関ヶ原の戦いでは東軍について勝利し、徳川家康にはいろいろ怒られながらもついて行き、堀直政の子孫は、徳川慶喜に進言してから江戸城切腹した・・・

 

これ、堀家しかないと思うんですよね。他に戦国武将がいるならば教えていただきたいです。勉強させてください。