堀家(秀政系)の祖先は藤原氏だった
堀秀政家の祖先は、(第三十八代)天智天皇の御代の八年(六六九)十月、藤原の姓を朝廷より賜わった大職冠中臣鎌足にはじまる。
この鎌足の後裔である鎭守府将軍藤原利仁(としひと)から数えて八代の孫にあたる権大夫藤原季高(すえたか)が堀家の祖となった。
私の父は、よく言っていました。「堀は藤原の朝臣だぞ」と。耳にタコができるほどで
した。だけど、堀秀政とのつながりが分からなかったのです。
なぜ、藤原が堀になったのかも、分かりませんでした。
それが、とうとう明らかになったのです。
すなわち美濃国内での戦いに出陣した季高は、敵将に見参して数回の撃ちあいののち、面倒と馬上に四ツに組みわたり、もみあっているうちに、ともにどうと地上に転げ落ち、なおも死闘を繰り返し、ついには力のすぐれていた季高の鎧通が敵将の喉元をつらぬき、首級が上げられ、その見事な戦い振りに、なみいる敵も味方もときの声を上げて、季高の勇武を讃えたと伝えている。
この美濃国内の武功の地を「堀之内」といい、のちに季高はその地名をとって氏とし、堀季高と称したのである。
鎧通(よろいどおし)というのは、今で言えばペティーナイフのような形状で、鎧の隙間から敵の体に向かって攻撃できる武器らしい。
敵も一緒にときの声を上げるっていうのは、敵の組織の統制がとれてなかったのかなと思ってしまいますが、それほどに激しく戦われたのだろうと想像し、尊敬の念を抱きます。
どうする?うれしいのか、悔しいのか、堀秀政と小牧長久手!
2023年8月20日(日)のNHK大河ドラマ「どうする家康」では
小牧長久手の激闘が描かれました。
秀吉が池田恒興、森長可、堀秀政、の3将に出陣を命じる場面で、「堀秀政」
という名前が台詞に入っていました。しかも秀政を演じる俳優もいたのです。
NHK大河ドラマで「堀秀政」がでたのは私の記憶では初めてです。
10年以上前に民放の年末時代劇でギバちゃんが秀吉を演じ、伊藤英明が堀秀政を演じ
ていたのは覚えていますが。
初大河は喜ぶべき事でしょうね。うれしい気持ちになるはずですが...
桧ヶ根の戦いでは堀秀政の戦術が冴え、大須賀康高・水野忠重・丹羽氏次・榊原康政
が突入してきたけれども、鉄砲と弓の連携を活かして岩作城へ追いやったという史実を
ネットでも散見します。堀軍だけが勝利したということです。
以上堀秀政が初めてNHK大河ドラマに出てうれしかった反面、徳川のための番組構成だけに堀軍の勝利情報が描かれなかったから悔しかったという話でした。
盆過ぎの理髪店、土曜日は混雑
いつも行っている近所の4000円のK理髪店。
朝一番で行こうと思って8時半に入店!
しかし! すでに4人のお客さんがいて時間がかかるって!
午前は無理みたい...
よし、気分をチェンジ!
シャンプー代込みで2000円のT理髪店へGO!!
空いてる~!!
髪型の注文もしっかりできたし、満足だぜい!!